2016年10月13日

相模原の事件

ここのところ読んでました。
「現代思想2016年10月号 緊急特集=相模原障害者殺傷事件」(青土社)

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たくさんの論考の詰まった特集号。
いくつかの論考で触れられてもいるが、知的障害者が住む空間を立地と規模で分類すると、
1)非都市部の/大規模施設 (国主導のコロニー)
2)都市部の/大規模施設 (いろいろな点で非現実的)
3)非都市部の/小規模施設 (言及が少ない)
4)都市部の/小規模施設 (グループホーム)
となります。

歴史的には1960年代の1)があり、社会学者や福祉関係者は4)への移行を唱えてきたという流れがあります。
僕らが設計監理して昨夏竣工した木更津の知的障害者施設(強度行動障害の方々のための住まい)は、上の分類に照らせば、3)になります。ここまでは設計中から自覚していました。
よく分からないのが、
「入居者の状態の如何に関わらず、4)が唯一絶対的な目標なのかどうか?」
どなたか教えてください。

この特集号に掲載された論考はどれも、4)都市部の/小規模施設が絶対的な価値という点で一色だったので、3)非都市部の/小規模施設である木更津のプロジェクトを相対化したいなぁと思った次第です。
とはいえ、この分野の建築的な交流のフィールドに疎く。
仮にそうだとして、3)をどう相対化できるのか、あるいは、立地に関わらず小規模であること(小規模は運営は本当に厳しいと思います。だから建築的に工夫が必要)の建築的な展開、が僕が考えていきたいことかな。

3年間ほどの木更津のプロジェクトで考えたり感じたりしたことと、今回の特集号を照らし合わせてみた所感は、
・地域社会の中での小規模施設として建築を計画しようにも、強度行動障害の方々をケアする側とケアされる側という関係性がないように取り繕うことはあまり意味がなく、閉鎖的な環境に閉じ込めてしまうことになりがちなのではないか?

・小規模施設という類型には、立地によらず建築的・ケア的なチャレンジの余地がたくさんあり、また、そのような建築を期待する方々がたくさんいること

・社会学者の論考にはどうも居場所や建築に対する無関心を感じる
・おむかいさんの極めて少人数による小舎制、「住まい」を追求した建築計画は、都市部への立地を唱える方々にどのように映るか


さらにいえば、この悲惨な事件はよく言われるように優生学の厄介さに隣接しており、僕自身がうまく咀嚼できないのは力不足を認めますが、かと言って、社会学やケア当事者らの各論考でもほぼ「難しいよね」で留まっており、それ故にけっこう絶望的な気分になってもいます。池田小事件後の建築を開くみたいな単純な話でも無く、でも建築も関係する話であるから、考え続けたいと思っていますが…
以下、論考のキーワード。
上野千鶴子 施設から地域へ/超高齢社会はだれもが中途障害者になる社会/自己差別が最大の問題
大澤真幸 他人に迷惑をかけてはいけない?
斎藤環 奇妙な入れ子構造/措置入院が犯行の意思を強化させた可能性(上野や大澤と同じ指摘)/容疑者の思想が一定の共感を呼んだ現実について/権利と義務のバーター説の危険性/日本教
木村草太 「個人の尊重」という憲法的価値の定着に失敗している可能性
森達也 特異性と併せて普遍性をこそ見つめるべきだ
尾上浩二 障害者間の困った事件という矮小化はダメ
など

明日はYGSAの学生さんたちを現地に案内することになっているので、急いでしたためてみました。
建築が求められている分野であることは間違いありません。
posted by naka studio at 11:11 | おむかいさん(知的障害者支援施設)